見た目を綺麗にするって元気がでるし私も大好きですが、そこに自分の価値を置きすぎると脆く崩れやすいものです。
20代前半に美容業界の最前線をぞいてみて
いくら見た目が美しくても満たされていない人はたくさんいるということを知りました。
あるメンズ雑誌の撮影ではまだ二十代前半でアシスタントのひよっこの私とは年が近いモデルも多く
一緒になる回数が増えるにつれて自然と会話をするようになるのですが話すとみんな同じような悩みを抱えていました。
若い年齢でモデルをやっている人はいつまでも続けれられるとは思っていない子がほとんどです。
しっかりと未来をみているモデルはビジネスを立ち上げたりして、活動している人もいました。
けれど大半はモデルの仕事以外に何をしたいのかがわからずなんとなくやっている人ばかりだった。
なんでモデルになったのかという話になると「暇だから」なんていう人もいたし
若い世代という事もあって何か自分の足りない部分を埋めるかのようにやっている印象を受ける人が多かったです。
撮影現場につけばモデルには全てが用意されていて、モデルは殿様のような扱いをうけます。
よく先輩が言っていたのが「海外ではしっかりとビジネスという意識でやっているモデルが多い。日本は過剰なちやほやが多すぎる。それをされすぎると勘違いしてしまい、遅刻やわがままが悪化して撮影に呼ばれなくなる人が多い。」ということ。
これまで何度も撮影現場で遭遇していたモデルにふと気づいたら会わなくなっている、ということも多く、それはまるで服の流行のようでした。
そんな現状をみているとこのちやほやされる特殊環境はまだ若い(高校生~20代)彼らにとっていいものなのか微妙だなと思うことがよくありました。
そんな風に自分の価値がドンドン変わっていく場所では
どうやっても自分と外界の価値が同じになってしまい、己を保つのが難しいのです。
モデルは若い間はもてはやされるけれど大人になると間口がせまくなりグッと人数が減ってしまいます。
当時撮影でよく一緒になったモデルの人で印象深い人がいました。
そのモデルの男の子は当時私よりは年上ですがいつも人生に生きていく活力がなく、寂しそうなんです。
当時は撮影現場ではよくあっていたので売れっ子です。
そのモデルの男の子はモデルの仕事もなんとなく続けているけれど
やりたいことがよくわからないと話していたんです。
身体も弱い感じだし不安定な気持ち、寂しさを抱えている雰囲気の人でした。
そんな雰囲気の彼がある撮影の時に妹さんを撮影見学に連れてきました。
周りはおいおい、という微妙な空気になったのですがメンズ雑誌の撮影現場にいる女性は私と妹さんだけだったので
私的にはものすごくうれしくて撮影のあいまに現場でのお兄さんの様子を聞かれて話したり、傍にいることが多かったんです。
そして撮影終了後、モデルの彼から今まで見た事もない嬉しそうな表情で
「ずっと妹と一緒にいてくれて本当にありがとう。妹も楽しかったって。」と声をかけてもらいました。
妹さんは海外から一時帰国中?での久しぶりの再会だったみたいで
いつもより彼のテンションが高く普段のローテーションからは想像ができない笑顔でした。
撮影でもそんな明るい姿を一度も見たことがなかったので兄弟愛を垣間見て素敵だなと思ったのを覚えています。
今考えると彼にとってはモデルの仕事は苦痛でしかなかったのかもしれません。
自分が綺麗に撮ってもらえたり、業界的に大きな仕事ができることよりも、
下っ端アシスタントが妹さんと仲良くしてくれたことのほうに心が動くというのは
当時はほほえましくも感じたものでしたが、今は、なんて寂しいことなんだろうと思います。
見た目の「美しい」はかなりあいまいな価値基準です。
人によっても美しいと思うものは違うし、時代が変われば移り変わりゆくもので絶対的なものではない。
現在の世の中の価値観では表面的な、肉の皮一枚が、生まれ持っての華奢な骨格が「美しい」ともてはやされるからこそ
外界の価値観基準が全部自分だと錯覚してしまい、本来の自分に気づけずに苦しい満たされない思いをしている人って多いと思います。
あの当時一緒になっていた若いモデルの子たちは今何をしているのかな。
久しぶりに昔のことを思い出しました。