凄く深い場所で否定と許しを経験することを選んで生まれて来た私たち

 

 

先日、愛について書きましたがメールでご感想やメッセージありがとうございます\(^^)/
連絡するという面倒を越えても反応してくれた人がいたことが本当に嬉しかったです!

初めてメールをくださった方もいて幸せです。
少しづつ自分が意識できる世界が広がるってこういうことなのかもしれないと感じています。

ブレスワークの清水先生に9月にお会いした際
気づくためには「本人がやりつくさないと気づかない。」と教えて頂いていたんですが
昨日のブログに書いた体験で、今年に入って二回目の大きな信念体系クラッシュをおこしました。

漫才で、ボケとツッコミが繰り返しボケてはツッコまれボケてはツッコまれをしていますが、最後に「もうええわ!」と、ボケ役にではなく二人のやり取りそのものに最後のツッコミを入れて、二人で一緒に「ありがとうございました!」と頭を下げますよね。あんな感じでした。

オチがついた!と感じました。

ヒプノやブレスワークで大小、様々な信念体系クラッシュを繰り返し

ようやく足が着いた感じです。

あるのか。

ないのか。

その論争はいつもあるけど、

やっぱり究極、すべてが幻で全部自分で創っている。

あると同時にないということ。

この世は舞台で、みんな自己表現を頑張っていて、私や皆さんが体験している他者との意見の相違や反発は、お互いに吸収したり整理したりする余地があるからおきるだけ。
相違を超えて理解しあうということは、物質的に存在している相手を全て無理矢理にでも受け入れなくてはならない!という苦しいことではなくて、向けられた全ては相手のなかにうつった自分が言っている言葉だから、大事に聞くと得しかありません。

そこに乗った相手の意図や感情などのノイズが気に入らなければ、言われた言葉を真っ白な紙にとても丁寧な言葉で書き直して、それをお腹の真ん中に置いてみる。自分の点検に使わせて頂く。何度も何度も。

全てが自分の中にあるということを理解して、感じる為に相手がただただ一生懸命に生きている人間であり、私もただただ一生懸命に生きている人間だと気づいた上で、卑下も侮りもなく、自分の中にあるろうそくの灯りをしっかりと真摯にみつめればいい。

様々な先生にあい、話を聞き学ばせて頂いて感じるのは

みなさんの真剣な思いとそれを受け取ろうとしている受講生です。

そこに分野による優劣はなく、結局方法はただのツールでしかなくって、目指している場所への登り方が違うだけなんじゃないかな、と思いました。

私は蓮の花のように揺らめく人生という水面の上で

自分の花を一生懸命咲かせることに集中し

己の中の炎をただ見つめ続けたいです。

 

私は人として生まれて来た事自体が
凄く深い場所で否定と許しを経験することを選んで生まれて来たことだとおもいます。

だから私に心を開いてくれたあなたを尊敬します。

あなたが痛んだり、恥を感じたり後悔したりする自由
失敗する自由を全力で肯定して、私の中で全力で守ります。

 

なぜなら幸せは今ここでしか感じられない。
今ここでしかわからない。

そうおもいます。

 

「もしも、一つだけ願いが叶うとしたら?」がん患者と健康な人に、同じ質問をした結果・・・

ABOUTこの記事をかいた人

精神世界の学びが大好きで、日々全力投球中! 自己認識研究オタクセラピスト。 精神、ボディ、みえないエネルギーのバランスを追及しています。