ボディーサイコセラピーの合宿では本当にいろいろなワークをしているよ、辛いよ、という話はこれまでも書いてきたかと思うんですが。
ブログタイトルのビームの話をする前に、数々のワークに共通するこれぞボディサイコセラピー!という特徴について、今日はそこから書きはじめてみたいと思います。
ボディサイコセラピーのワークでは、集団のもつ力と、他者の力を利用します。
言い方は悪いけど、自己をじぃっと内観してる余裕があるならさぁさぁ目の前の人と対面して体を動かして、声を出してみて!自分が限界だと思い込んでる枠を超えていこうぜっ!みたいな。
笑えないの?じゃあ思いきっきり笑ってみましょ。
怒れないの?じゃあ思いっきり怒り切ってみましょ。
威張れないの?じゃあ、、、
ここは対人恐怖症克服セミナーかな?って錯覚するような、思春期以降の自分が悶絶して血塗れになるような、そんな実践的で物質的なワークに取り組んでいる感じがあります。
ワークと併行して神経や体の分泌など科学的なことも習っていくので、肉体を物質として捉え物質だからこそ変えられるというのがボディーサイコセラピー!という私の掴み方はあってるんだと思う。
そしてボディサイコセラピーが目指すのは、現実での生きやすさです。
では、現実ってなんだろう?と考えてみると、私たちは誰しもとにかく他者に囲まれてるなってところは共通してるよね。
山の中で自給自足で誰とも接触せず暮らしているって人をのぞいて。いや、山の中でももしネットが繋がっていたらその向こう側には人がいるってことなので、やっぱり他者に接する現実を生きている人が大多数だと思う。
そして他者に囲まれた現実で、集団のなかで自分という存在を感じ考える自分が生きやすさを獲得するにはなにが近道かというと
実際に他者と集団にガチンコして、これまで
いやぁ無理ー!
って思ってたことを無理じゃなくしちゃうのが早いよね!って。
そんなワークの成果をまんま現実で実感する出来事があったんですよ。
ここからやっとビームの話っ。
少し前の合宿で「怒りを目から出す」ってワークをしたんです。
本来、怒りの感情エネルギーは目からほとばしるものなんだそうです。
だから下手に言葉や身振りで横に逃がしてしまわずに、目から真っ直ぐ相手に放射することが大切で、
それがしっかりと出来れば感情をくすぶらせることなく出し切ることが出来、無駄に相手と傷つけ合うことなく争いを最低限で終えられるということでした。
野生動物は争わない姿勢を示すために相手の目を避けるけど、人間は言葉が使えちゃうから目を使わずに喧嘩することもできる。だけどそれって本能からするととても不自然なことなんだねきっと。
私は怒った時に、怒りを声のトーンで表現し納得行かない部分や自分が思ったことを言う、という方法を選択することが多かったのですが
この間友人とお互いに譲れない事でバチバチっとなってしまったときにワークでの体験を実践するぞと思って、怒りは目から出す!!ことに集中してみたのですが、
すると、言葉や態度が怒りから自由になって冷静に表に出ていくのを感じました。面白い。
そして私が感情的にどう感じたかをしつこく話すいつもよりも言い争いは短時間で解決。
時間も短く済むから仲直りも早く、お互いのコミニケーションで起こるエネルギーの流れの良さもかんじました。
仲直りした後相手に「目で怒っている!を最大限表現したんだけどどう?伝わった?」
と聞いたら
「うん!目の下が黄色くビカーって光ってみえた!」と言っていました。
とうとう目からビーム出せるようになったぞー!!笑
BIPSのトレーニングではコミニケーションの中で起こる目詰まり=自分の感情表現を上手にできない、出そうとするとすぐに泣いてしまったり自分のエネルギーを保ったまま表現しきることができない部分、を強化してくれるので
自分を社会(自分の関わっているコミュニティの中で)で表現して行くことが楽しい!と感じるようになっていきます。
私達はすぐ相手がどう受け取ってくれたかに着目しちゃいがちだけれど
大切なのはその瞬間に本気で自分が納得した表現ができたと感じる&思えるか。
「わかって欲しい」という欲求は根強いものだけど、相手の反応に結果をあずけちゃうと自分軸で生きて考えを行動に移して行くのがとても困難になります。
相手にはいろんな反応する自由があるのに、それを忘れて強制しようとしちゃうとかね。
土いじりを体験させてもらったからより感じることなんだけれど
直接触って肌で「豊かさ」との繋がっている感覚を思い出せると
自分らしさを武器に人生を力強く生きるための一番重要な「土壌部分」が豊かになっていく。
BIPSも精神、心を解きほぐし同時に身体へ触れて行うセラピーだからこそ
鎧が溶けて「豊かさ」が自分の内側からあふれだすのかもしれない。