人生で体験した事の優劣は自分で決めている幻でしかない。

 

 

昨日は満月でしたね!みなさん新月瞑想から何か変化はありましたか?

変化があったよー!!と何人かの方からご連絡を頂いています。とても嬉しいです\(^o^)/

昨日はセルアイ講座だったのですが、
受講生のみなさんの間に気づきの竜巻がおこっています。

私も気づいちゃったー!気づいちゃったー!うわぁぁぁぁぁあ!!!!笑
 
 
セルアイ講座すごすぎるわ!!なんなのマジで(笑)
 
 
 
 
 
自分の中でエネルギーが大きく動くと顔の筋肉が反応するので痛いです。
久しぶりに頭パッカーンする衝撃だったので荒ぶってますが、頑張って文章にしようと思います。
 
 
 
 
今回のセルアイ講座は私にとって幼少期の被略奪体験がテーマでした。
 
 
 私はここ4日ぐらい前から母親に対してなにをするにもしないにも
すごーく怒っている自分が出てきていて内面をいくら掘り下げてみてもなんでだろう?
と明確な理由がわからなかったんですが
 
今回の講座で、谷原先生からのアドバイスや受講生の方々の体験を聞いてわかってしまいました
 
 
私は、過去に親兄弟から「奪われた。」と強烈に感じた被略奪体験がありました。
それは未処理のまま私のなかに残り、そして、いい大人になった今になってそれを基にした意識の誤作動を起こして、母親に対してものすごーく怒っていたんです。
 
 
自分という存在を見てくれない、私のものを奪われたという体験の衝撃は根深く残っていました。
 
 
みなさん誰しも、兄弟がいると親が自分をみてくれないとか、おもちゃを取られた!とか、お父さんにお母さんを取られた!(逆もあり)とか奪われた、略奪だと感じた体験があるはずです。
 
 
客観的に見たら、そして大人になった自分から見たら全くもってたいした事でなくても
奪った側の相手に悪気や自覚すらなくても、自分の中にまだ被害者意識があり「略奪体験」に怯えたままの私がいる事に気がつきました。
 
 
現実世界でちょっとでも似た様な出来事が起こるとまたくるのか?
と身構える、安心できない自分がいたんです。
 
 
幸せな現状に安心できない自分がまだいました。
 
 
 
これまでにもぼかしつつ書いてきたことですが、私にはスピ業界に入るキッカケになった恐怖体験があります。
 
 
そしてその体験は私が直接起こしたわけではないと、今まで思っていました。
 
 
しかし現在の問題が、例え私以外の人がキッカケで起きたことだとしても、自分がそこに一緒に巻き込まれて体験してる時点で、必ず自分のせいであり、ヒプノで言えば、自分の幼少期に元となる体験があるはずなんです。
 
 
しかもよーーーーーーーーく考えてみると、幼少期、幼稚園、思春期に起きている出来事は
違うからわからなかったけれど同じような恐怖を感じる体験があることに気がつきました。
(今まで恐怖体験までは何にもないぐらいに思っていましたが沢山ありました笑)
 
人生のなかで起きた出来事に、自分が無関係なドラマ(脇役やエキストラなこと)はないですからね。
 
 
私はその恐怖体験を乗り越えた自分に対して「どや!!私はすごい体験したんだぜ」という変なプライドがあって、固執している事にも気が付いていましたが
更によーーーーく掘り下げてみると、実はプライドの裏には、また起きたらどうしよう…という恐怖があったんです。
 
 
この恐怖があると、幸せな日々が続いていくのがわかっているのに、同じような兆候、似ていると感じる出来事が起こると自分の内面にあるサイレンが発動します。
 
 
身体が覚えているので、意識しなくても反応してしまうんです。
 
 
同じ様な恐怖体験が起きても絶対乗り越えられると信じているし、わかっている自分がいるのに、自分のなかにある不安についてはわかっていた「つもり」になっていました。脇がまだまだ甘かった。
 
 
本当にわかっていたなら、プライドは持たないんです。
凄い体験したんだぜ、なんてわざわざ思いません。
 
 
人生で起きた事全てがただの体験であり
そこには凄いとか凄くないとか、そんな優劣は存在しないからです。
 
 
体験を美化し勲章のように自分の胸に飾れば、恐怖や怯える自分を隠せるから
プライドを硬く保とうと必死になっていたんだとわかってしまいました。
 
 
人生で起きた辛い事を自慢げに思う気持ちの裏には
「深く傷つけられた」という恐怖が隠れています。
 
 
周りが中々体験してないようなひどい体験を20代で経験した自分は
唯一無二!と誰かに認めて欲しかったし、そう思いたかったんだと思います。
 
あーーー!!自分バカだったわ!!爆
 
 
 
人生で体験したことに固執するのには必ず何か理由があるんです。
 
 
人生で起こる事全てただの体験。
 
 
ぜーーーーーんぶただの体験なんです。
 
 
この体験をしたから私は凄い!えらい!つらかったんだぜ!
と声を高らかに言いたい自分がいるなら
そのすぐそばに傷ついているインチャが同時に存在することがわかりました。
 
 
 
誇れる経験、辛い経験を乗り越えたんだ!と自慢する自分をずっと持ち続けるということは
 
誇る為にまだまだ認めてほしい自分や、恐怖を抱いている自分がいます。
 
誰かに見せつけないと立ち上がれない、傷ついたインチャがいます。
 
 
 
どんな体験に上も下もない。
 
 
 
 
人生で自分の体験したことに変に執着せず、
 
 
嫌いも、好きもない。凄いも、凄くないもない。
 
 
その事に気づけたときまた目の前の世界が違ってくるんだとおもいます。
 
 
 
よし!!ナカーマのみなさん、今週も元気にいきまっしょーーー(^◇^)!
 
 
 

ABOUTこの記事をかいた人

精神世界の学びが大好きで、日々全力投球中! 自己認識研究オタクセラピスト。 精神、ボディ、みえないエネルギーのバランスを追及しています。