恋愛を使命だと誤認し(笑)学生時代、自分史上最高彼氏を探し求めて全力投球してきた過去を持つものとしてこれだけは言いたい。
恋愛は非日常ではありません。日常です。
最近恋愛相談をよく受けるようになってハッと気づいたんです。
相手を自力で見つけて恋愛にうまくもっていける女性はいいんですが
恋愛にすら発展させられなくて悩んでいる人が本当に多い。
相手がいないと嘆く人、好きな人が振り向いてくれないと嘆いている人
これを読んでいるのもなにかの縁なので真剣に考えてみてほしい。
あなたにとって恋愛は、非日常的なキラキラ物質になってはおりませぬか
ということを。
あなたにとっての恋愛ってなんでしょう。
あなたが恋愛を通して望むことはなにか、と言い換えてもいいですな。
あなたは素敵な恋人と日常を過ごしたいのではないのかい?
相手と最高のパートナーシップを築きたいのではないのかい?
だとしたら、それができるのは「日常のなかで」しかなく、
恋愛の先に見えている結婚は、あなたの日常そのもののことなんだと思うんだ。
キーワードは日常。
そして同じくらい、いやそれ以上に大事なのは、恋愛は自分が原っぱのど真ん中に立った大樹のつもりでやりなさーい!ということ。誰かの原っぱに入り込んで、大きな樹を見上げてすげーってなって、その大樹の宿り木になりたいな、というような恋愛は憧れではあっても恋愛ではないと私は思う。
キーワードその2は、自分が大樹。
私の経験上、うまくいかない付き合いに対する切り替えが早い人ほど、しっかりとお互いが幸せになれるパートナーと出会っています。
そもそも恋愛は、自分が幸せになるための選択肢のひとつであり、
ゆいいつの!と必死になって握り締めるのは相手ではなく、あなたが相手と築きたい在り方のほうなのです。
ぶっちゃけ『その人と」でなくてもいい。
あなたと誠実に在り方を築いてくれる相手なら、誰だって良い。
そして相手と築きたい在り方を握りしめろ!と言いましたが、こだわるのはその形にじゃなくて、熱量とか質量とかなんかそんな感じの核の部分ですよ。
形は相手と過ごす日常の中で少しずつ変わってくるものだと思います。
私は当たって砕けろ精神なので、玉砕経験も多くもっています。
学生時代どタイプの人に思いっきりあの手この手の振り向いてもらうために努力して、ストーカー直前まで差し迫り、大玉砕を経験し、もうしばらく立ち上がれない、、(笑)と意気消沈している時に夫と出会いました。
今思うとおもいっきりやり尽くさせてもらったお陰で
新しいものが入ってくる宇宙の流れに知らずに乗っていた気がします。
ポイントはただ失敗した。という気持ちじゃなくてやり尽くして後悔がなかったんです。
だからこそ疲れてもうしばらくはいいや、自然にまかせよう。と思ったのがよかったのかもしれません。
恋愛に非日常を求める人は同じ人同士でくっつきゃいい。
恋愛を日常として捉えて、お互いに切磋たくましあいながら成長できるパートナーを本気で望むならば
やれることはまだまだいっぱいある。
自分が幸せになるために今できる現実的な方法、できることはやり尽くしたのか。
今一度考えてみてください。
パートナーシップはお互いにいろんなことを話し合って改善したり、協力しあえる対等な仲間として考えあえる関係が最高だと思っているのでそのための努力は今現在も継続中です。
今パートナーのことをつまんね。とおもうならばあなたがつまんない人なんです。
一番側にいる相手はあなたの写し鏡でもあるので。
お互いに対等な立場で努力できる「類友」男女関係なくこの世の中には絶対います。