祈り=呪い

   

     

祈りも呪いも、具体的なある状態を目指して一心に念ずる、という意味では同じものなのです。

動機や目指す状態が人間からみて良いものか悪いものかの違いなだけで、

なれーっっ

なれーーっっっっ

と願い念ずるのは同じ。

顕在意識にある意図をなんとかして現実にしようとあがくとき、それよりずっと大きな無意識がじぃっと黙っていてくれるわけがないので、
祈りたい動機や意図設定が自分の中でブレがないか?
希望の裏側にある恐怖や不安をなんとかして無視するために祈るという行為に没頭しようとしていないか?
自己内観は大事。

ヒーリングも祈りも主軸になる人の意識と思想の影響をかなり受けます。
 

だからとにかくしっかりと納得、自覚してやるのがいいと思う。

集団で瞑想しようという呼びかけがこういう時期だから結構あちこちで見られていて、どんな感じでやるのかなと気になり覗いてみると、瞑想というよりは明確な方向性をもたせた「祈り」じゃないのかなこれはと感じたものもあって。

祈ることは投げっぱなしのボールではないってことをわかっている人はどれぐらいいるのかしらと思ったのです。

祈りって何かを成そうとすることなので呪いと同じです。

前ブログにも書いたけれど、何かを動かす意図を発した瞬間二極(陰陽)のエネルギーが必ず動くので、反動を受け止める覚悟がない状態でするのはあんまりオススメできないなぁ。

ただね、自分の恐怖が具現化するとどんなことが現実に起こったりするのか体験することは
全部自分のためにしかならないので、祈りも呪いもやってみたい人は自己責任でどんどんしたれ!ファイトー!!って思うんだけどね。

私は人と一緒に瞑想するのが好きなんですが
一緒にやるとその人が瞑想で普段どんな意識状態なのか垣間見れるのよ。

そのたびに主軸になる人の意識状態って大事だなぁと実感します。

ABOUTこの記事をかいた人

精神世界の学びが大好きで、日々全力投球中! 自己認識研究オタクセラピスト。 精神、ボディ、みえないエネルギーのバランスを追及しています。