重なりあう円の一部を共有できる幸せ

「今世であえてよかったなぁ」と思えるような会話、ナカーマの皆は誰かとしたことあるかい?

私はあるんだぜ。でもそういうのって中々ないので本当にありがたい。

「今世で出会うのが初めてじゃないよな、どっかで絶対一緒だったよな」と思うような懐かしさを感じる人との会話は、表現や微妙なニュアンスは違えど
同じ場所(それはいわゆる光なのか、魂の故郷的などこかなのかわかんないけれど)に顔をむけながら話してるって感じることが多いと私は感じていて
お互いに魂の本質的な話や感覚的なこと、抽象的な表現の会話でも
「それな!うんわかる!そうだよねーーー!!」としか言いようがない不思議なシンパシーがうまれるんだ。

生命の樹の小西先生は、そういうのを同じ霊統(漢字あってるかな?)をもっている人と仰っていたと思う。

普通、会話している相手の反応に対して自分の神経の何割かは割くじゃない?

気になるよね。それが会話相手への礼儀でもあるし。

でも、強いシンパシーを感じる人たちと会話は、お互いが持ってる円同士の重なった部分だけでコミュニケーションをとっているということがありありと感じられて、それだけで良いんだって深い安心感がある。

なんとなくの、重なり合った部分での理解、瞬間的な電撃的な相互理解があって、そこで分かり合えているという安心感だけが真ん中にあって、相手の表面的な反応だったり言葉自体のニュアンスの違いが気にならない。

そしてね、自然に、生きる勇気や、私がこれから社会の一員としてこうなっていきたいとか

夢や目標のヒントが自然と湧いてくるの。

今までカウンセリングとかで、自分が将来なりたい憧れている人、尊敬している偉人とか聞かれてもえ?どうしよう。思い浮かばなかったんだ。
私にとって難しい問いだった理由がわかったぜ。

私にとって尊敬する人は「強いシンパシーをくれた魂の探究者の先輩たち」なんだ。

偉人とか有名な人の本を読んだりすると確かにすっげーな!ってなるけれど

やっぱりいまいちピンとこなかったのは出逢って、直接色んな話をして

生き様とか考え方とか教えてくれた人全員が私にとって憧れで目標だから。

   

閃きをくれる人達って自分にとって純度の高い鏡になってくれる相手だから

ナカーマのみんなにも、そーゆー出逢いを沢山して欲しい。

   

私が成長してきた秘訣?をきかれることがあって自分なりに考えてみたんだけれど

私はこれまでどんなセッションにも講座も100%で挑んでいったし、ぶつかっていく意気込みでした。

なにかを絶対掴むぞ!自分の糧にすんぞ!日常生活で何十倍にも活かす!

って意図設定がよかったんじゃないかなと思っています。

もうね、マジで目から血でるぐらい必死だったんです。同時にその場を100%楽しんでもいたよ。だからドンドンのめり込んでいったんだろうし。

人生で起こることは自分で決めていくためにも、しょっぱなの意図設定結構重要だと感じています。

   

     

自分の豊かさを感じよう。

信じよう自分の感覚を。

肯定して愛そう。

己の歩んできた人生を。

全身で表現しよう。自分の魂の輝きを。

ABOUTこの記事をかいた人

精神世界の学びが大好きで、日々全力投球中! 自己認識研究オタクセラピスト。 精神、ボディ、みえないエネルギーのバランスを追及しています。