漠然とした不安は自家中毒を起こす原因となる

 
 
 
 
私は自分の土台をしっかりとするために滞っている部分に気づく事が多い気がします。

そんな中、原因となっている、潜在意識へと埋まる不安を解消すると
それに呼応するように現実の問題もさっと解決(または軽減)することが多いので、

自分の中に渦巻く不安や漠然とした心配な気持ちは、自分にとって毒になっているんだなと思うようになりました。

 

明日や未来が不安、心配。仕事がうまく終わるだろうか
明日はあれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ!

未来は大丈夫かな
あの時の選択はあれでよかったのかな

一つ一つは小さな不安で、自分の中にあることをつい許してしまいがちですが、

問題なのは、不安というものは境目なく絡まり合いながら際限なく大きくぼんやりしたものになれる、そんな性質を持っていることなのです。

気づいたら怪獣の様なものに襲われているかと錯覚するぐらいの恐怖へと変わっていることもあります。

私は、不安や心配という感情は、恐怖や怒りの感情を抱いた時ほど、自分にとって危ないもの、
よくないものだと危機感を感じたりする事がありませんでした。

不安や心配は良くないものとわかっていても、真剣に向き合わずに、小さな不安ならまぁしょうがないと、心の片隅に放置し忘れる事が多くありました。

が、これがよくないんですよね。

 

不安、心配を心の中に持ち続けて放置することは、重大な自家中毒を起こすキッカケになります。

毎日毎日、人は、幼少期の体験をトリガーとした小さなたくさんの不安、心配を、たくさんたくさん生み出しています。

ひとつが生まれひとつが消え、と、胸のなかにあるのが常にひとつふたつの不安と心配だけという状態を保つことが出来るならよいのですが、不安や心配は自然には消滅せず、輪郭をぼやけさせながらもそこに残り続け、新しく沸いた不安とくっつきあうのです。

そしてそれが複数重なった時、人は激しく急き立てられたようになり、
息ができない!どうしよう!!なにもかもが心配!なにもかもが不安!とパニックを起こします。

それらの不安、心配の正体は、結局のところなんなのか。

実はすべて、「自分が信用ならない」「自分として生きることが信用ならない」
そんな、自分自身への不信からきているんだと思います。

 

不安、心配を抱くということは、主語が曖昧な潜在意識にとって「自分として生きることを否定している」ことなので
未来の自分、新しい自分を否定していることと一緒です。

 

不安、心配を払拭出来ずに抱き続けるって自分を信じれていない事と同じだし、イコールじゃないか!!と私は思います。
人間の思考は日々不安、心配を情報として蓄積しています。

 

その不安、心配を払拭する為には、様々なものを実践して、
「安心できる自分」「生きていて大丈夫な自分」が毎日存在している事を
しっかりと実感しなければならないのだと、わかりました。

自分の周り、外側ではなく内側に安心、安全を創る。
それは難しい事ではなく日々、日常生活を生きているだけで実はみんな成功体験を
積み重ねているのでその事を意識的に自覚し意図することです。

 

恐怖、怒りは長くずーっと同じ強さで思い続ける事はできません。

必ず時間が経てば薄れるものです。
恐怖、怒りより不安、心配は軽度が軽く見られがちですが
自分らしく生きるために感情の中で「一番の厄介な毒は心配、不安」だと感じています。

自分の影、ペルソナにをみないふりをする為には莫大なエネルギーを浪費しているんですよね。

 

不安、恐怖と向き合えば本当に、現実世界が優しく変化していきます。

 

 
 
 

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精神世界の学びが大好きで、日々全力投球中! 自己認識研究オタクセラピスト。 精神、ボディ、みえないエネルギーのバランスを追及しています。